熟成鮨を体験するまでの道のり
「熟成鮨」「鮪は出さない」この二つのこだわりを持つ尖った寿司職人がいると、グルメ雑誌で知ったのは今から10年ほど前のこと。
寿司はもともと保存食であったことを考えると、不思議なことではないのかもしれない。が、近代以降の冷蔵技術を最大限に活かす原点回帰の姿勢や、他ではいくらでも食べられる寿司ネタの代表格を敢えて使わない捻り具合が、自分の性に合っている。そう直感し、絶対に行くと心に決めていた。
でも「いつか食べてみたい」と思うだけではなかなか叶わない。当時はおまかせがまだ1万5千円だったけど、私には気軽には手が出せなかった。今よりも収入も貯金もあったけれど、自分がどれほど寿司好きなのかという自覚かまだ薄かったのが一番の原因だった。
和食で得られる幸福感の領域は、他のどの地域の料理にも及ばないと、もともと感じていた。でも懐石料理でさえ、幸福度が満タンにはならないことも徐々にわかってきた。やっぱり、シャリとネタが合わさった究極の一口を超える寿司の幸福感には及ばないと認めた。
そしてある年、自分の誕生日祝いに熟成鮨の店に予約しようとすると「12月は初めてのお客様は予約ができない」旨が留守番電話で知らされた。この頃、同店はミシュラン星も獲得した後で、ますます遠い存在になっていた。
その後omakaseというサイトから予約できることを知ったけど、私は仕事で海外にいることが多く、物理的に無理があった。どのみち、空きがでてもすぐに埋まってしまう。大将が忙しくて体調不良とも見聞した。一生、大将の熟成鮨が食べられないかもしれないという不安がよぎった。そして一旦、他の寿司店を巡ってみようと軌道修正することにした。
私が食べログでフォローしているベテランレビューアーのUさんが最も頻繁に通っている赤坂の銘店Sに行きたかったが、新規は予約がそもそも取れない。
お金以上の価値がついている同等の寿司屋の前では、お金は紙切れに過ぎない。これらのおまかせはだいたい4万円を越えるが、銘店Sはその中では良心的な価格設定の方である。
私はそれまで一食の食事にかけた最高額は2万円であった。老舗の虎河豚コースで、大満足だったので食後「高かった」とは一切思わず、むしろ一生物の思い出ができたことに感無量であった。だから「人生に一度の最高な思い出作り」になればむしろ安いと思える感覚も経験していた。でもやっぱり一食4万円以上というのは精神的なハードルがあった。
寿司屋もピンからキリまであるのだから、もう少し低い価格帯の店に行くことにした。経験上一万円以下で満足できる寿司は、押し寿司くらいだったので、1万5千円台で探した。予約が取れないのが当たり前な店ばかりを見ていると、予約が簡単に取れてしまう店の品質が不安にもなったが、予約できないと始まらないし、そこで満足できるなら儲けものだ。
しかし、1万5千円のおまかせが二軒連続、満足できなかった。Uさんも数年前に一度行ったことがあり、評価も高めな店だったのに……。「情報も生物だから、生きているとは限らない」という勉強代となった。お気に入りの銘店に通い詰めるUさんが一度もリピートしていないということ自体、大きなヒントであったはずだ。
1.5万円が2回で3万円だ。なのにガッカリしてモヤモヤしている。満足さえできるなら4万円の寿司は安い、と頭だけではなく、本心で思う感覚になっていた。とにかく、旨い鮨で私を唸らせてくれ!死ぬ前に一度でいいから、寿司の最高峰を!巷で「高級」と謳われている寿司屋をこれ以上、見下したくない。私を平伏させ、謙虚にしてくれ!
そう心の底から叫び、願いを叶えるために調べて、Uさんのオフ会の会員になるという裏技と根気と運で、銘店Sでおまかせを頂くことができた。4万円が少しでも高いと思っていた頃の私では、その運は掴めなかったと断言できる。自分にはそのレベルの鮨を食べる価値のある人間だと思わざるを得ないほど失敗をしてきたから、たどり着けた。そして、銘店Sを初体験しているにも関わらず、「ただいま」という感覚を覚えていた。やっと、やっと自分が求めていたレベルの寿司を頂けている。長い道のりだったけど、やっと帰ってこれたという安心感だった。
旨い寿司なんてもう、いつ食べたか覚えてもいないのに、そんなことを思ったのは、過去に食べてきた最高に旨い寿司を味覚がちゃんと記憶していたからだろう。
聞くところによると、私は乳幼児の頃から刺身を惜しみなく食べされられて育った。両親が日本食品店を営んでいて、海鮮や寿司も作っていた。幼児期から海鼠、アワビの肝、うなぎの肝などが好物だった。
祖母は富山の料亭の娘で、伯父は板前。私たちが日本に行く度に、外食の際は、超一流の寿司や天ぷら、鰻や蟹などを食べさせてくれた。普段は、一般的な家庭料理を食いしん坊の母が作ってくれ、私は雑用だった。要するに食の英才教育を幼い頃から受けていたのだ。
一方で、私は両親からあらゆる虐待も受けながら育ったので、精神障害を患ってきた。父が「お前を飲兵衛にするのが夢なんだ」と言いながら、高級食材を食べさていたが、これは数々のグルーミング手法(獲物を手名付ける)の一つでもあった。私は性被害を否定し解離するために、過食症にもなっていた。母からの体罰や罵倒や嫌味や無視も日常茶飯事だった。
両親から逃げることができた後も、精神障害は悪化する一方で、収入は低いのに、味覚だけは富裕層なので、そのギャップに悩まされることが多かった。自炊は得意だが、外食の時は迂闊に店に入れない。下手なものを出されると、体調が悪くなったり、ガッカリしすぎて鬱が悪化することさえ少なくない。
現在、生活保護にお世話になる手前まで、貯金が底をついてきた。生活保護を受け始めたら、それこそ一流の寿司なんて食べられなくなってしまう。
今回、念願の熟成鮨屋の席に空きが出たことを知ったのはそんな状況の最中だった。最近、鬱に打ち勝つためにも早寝早起きを続けているのだが、ある朝なんとなくomakaseのサイトをたまたま開いた。期待していなかったのに、なんと初めて見る「空きがある」状態だった。
私は動揺した。その日は冬の土用中。土用中は、大きな出費や衝動的な行動は避けた方が良いとされている。私は目を閉じて座禅を組んだ。瞑想も日課なので、自然な動きで座って心を落ち着かせようとした。予約の情報を打ち込むのに5分の猶予が儲けられる。この間に決断しないと、という焦りを感じていた。
そして出た答えは、10年以上も行きたいと思っていた鮨屋なので、衝動的な行動にはない。44,000円は大きな出費だが、空きが出て、自分の体調が良く、ランチなら体験したいと思って、何年も前から手帳に念願を書いてきた。土用中は、以前からやりたかったことやるのに適した時期だ。といことは、このチャンスを逃すのは最早おかしい。
すかさず、予約情報を打ち込んだ。もう一度やり直してくださいというエラーのメッセージが出て、焦って再度試したら、予約確定!思わず、よし!と声が漏れたと同時にガッツポーズをしていた。
数日後の当日、二子玉川駅から10分歩き、寿司屋に着いた。8人がけのL字カウンター奥のまな板にネタ用のガラスケースが埋め込まれており、その銅か真鍮の枠がまたカッコいい。熱燗を温める容器も銅製で、備品の一つ一つが洗練されていて、心地よい。
厨房から大将が出てきて挨拶をしてくれた。やっとお会いできたという感覚から初めて会う気がしない。
日本酒「渓」
女将さんから飲み物を聞かれ、日本酒を半合お願いした。すると島根県・王録酒造のにごり「渓」が出された。私は大の濁酒好きなので、なんで私の好みが分かったんだろう?と一瞬勘違いしたほど。微炭酸で、甘すぎず辛すぎず、これはイケると思ったが、お酒は強くないので、お茶をチェイサー代わりにちびちびやった。


他の客も次々に入店し、まもなくおまかせが始まった。まずは青柳のスープで胃袋が温まった。
おまかせ(つまみ7品、にぎり15貫)

続いて青柳と蓮根のぬた。ネギおろしがトッピングされている。


















❸49日目のマカジキが写っていなかったが、私の味覚にはちゃんと刻まれました。「40日目から化ける」というマカジキの熟成を大将が始められたきっかけのお話はとても興味深かった。


ガリがサイコロ状なのも、噛み応えがあって私好みでした。寿司屋の定番になることを願う。
総合的な感想
他の寿司屋では食べられない旬の魚や、熟成の奥深さを愉しむために定期的に通いたい。期待を裏切らない、寿司通のための良店でした。
寿司とサバイバル
入店する前に、大将についておさらいするためにネット上のインタビュー記事を全て読んだところ、熟成鮨がサバイバルのために生まれたということが理解できた。単に他の店との差別化のためなのかなと想像していた私には興味深かった。
開店後の数年は客が今ほど来ず、大将が最高のタネを仕入れても、魚の鮮度が落ちて行く一方だったことがきっかけで熟成鮨を工夫したらしい。鮮度が落ちるネタをどう活かして、商売を続けるか、食いぶちをつなぐか。他の店との差別化云々以前に、生きるか死ぬかのサバイバルの話に読めた。
そのサバイバル精神に、私は親近感を覚えるのだが、それは私は幼少期からあらゆる虐待を受けてきたサバイバーだからだ。唯一比較的に恵まれていた「食事」に全集中して、あらゆる精神障害を発症させながら、生き延びてきた。両親を頼らなくては死んでしまう子供が「親から虐待を受けている危険な状態」と認識しないために、「こんなに食事を与えられているのだから私は幸せな家庭で育っているのだ」と自分を騙しながら食べて食べて食べまくった。過食症なんていうのは序の口である。
ご飯さえ与えられなかった人や、高級食材で育てられなかった人からは「は?あんたなんか贅沢じゃん」と嫉妬されるかもしれない。贅沢な部分もあったことは否定しないけど、体罰や性被害や精神的な苦痛がチャラになることなないのだ。
経済的に貧乏だったり、身体が不自由だけど、良い家族関係に恵まれていたから、そこまで辛くなかったという話や、辛かったけど家族のお陰で今があると言える人たちに私は嫉妬してしまう。
無い物ねだりかもしれないけれど、豪華な料理より、良質な人間関係の方が人を幸せいするということを私は実体験として証言できる。
むしろ現代人は食事を摂りすぎている傾向にある。胃が休まらず、病気になって苦しんでいる人が大勢いる。だから食事は良質な物を必要最低限摂れればいい。私は幼少期から美味い物を頂けたこと自体には感謝できる部分もあるが、物心つく前から性被害を受けていたことが全ての裏目に出してしまっている。
私の人生はグルメと虐待が表裏一体。虐待を受けずに育った人なら、美味しいものを食べた後「あー幸せ」と素直に言えるものも、私は常に虐待の記憶と体験が結びついてしまう複雑な心境になるのだ。
寿司という最高の食体験になり得るポテンシャルを持った料理の裏で壮絶なサバイバル劇が多方面に繰り広げられてきたのだ、ということに思いを馳せる。
食うか食われるかという残酷な社会・世界ではそれは当たり前なことなのかもしれない。
この後味の悪さを、ひとときでも忘れさせてくれる極上な時間を、有難うございました。
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