とうとう生活保護を申請する寸前にまで来たのですが、あいかわらず複雑な感情です。
一重には、世間的に見た場合、私の人生史上最も落ちこぼれた状態。
一方で、ある意味スタートラインに立とうしている感覚が個人的にはあります。
それは、自力で悪あがきしてきた今までのやり方の限界を認めて、「助けてほしい」と他人・社会にSOSを出せているという、健全な姿勢がやっとできつつある、と解釈できる気がするからです。
私は物心つく頃から、家庭や社会の犠牲・生贄にされているとずっと心の奥底で感じていました……正確には、誰にも助けを求められなくて、助けが必要だという自覚さえ封印してきたので、助けを求めるなんていう発想すらありませんでした。
資本主義社会ではお金さえあれば、他人に頼ることを最小限に止めることができる=自由度を増やすことができると理解していたので、私は仕事に全力を注いできました。
物心つく前から、母の家事育児を手伝っていたそうで、どこに地雷が落ちているか分からない母との接触を少しでも減らしたかったという動悸もあったと思いますが、「子供」というだけで感情や意見を蔑ろにされるのが辛くて早く大人になりたいと願い、10歳の誕生日に父に頼み込んで、学校が唯一ない日曜日に毎週、父の店で働かせてもらいました。地元で合法的に働ける14歳になったら季節バイトもしました。父の常連絡からは即効スカウトを受け、土日祝日や深夜までの勤務は当たり前になり、早朝からのバイトを掛け持ちしていました。日本の大学に編入してからも学費と生活費を賄い、返済不要の奨学金を受けるために成績を上げつつ、バイトの掛け持ちは当然で、税金が10%天引きされていることに疑問を覚えて個人事業主として開業し、事業の経験値を上げるためにインターンやボランティアにも積極的に参加。卒業後、夜の仕事にも興味があったので、朝から晩まで働いていました。海外の大企業にスカウトを受け初めて正社員になりましたが、そこでは24時間シフトの激務で、心身ともに悲鳴を上げていましたが、数年後にリストラに遭い、幸か不幸か強制終了。その後、私が日本に帰ってきたことを知った元同僚たちから次々と仕事の依頼が来て、気づいたらフリーランス一本で生活ができていましたが、「仕事を断る」という概念や方法すら知らなかったので、朝目覚めても体が動かなくなり、寝ながらヨガの動画を真似しないと身体中が痛くて仕方がないという日々の繰り返しでした。その後、NOが言えないだけに、友人から行きたくもない旅に誘われる度に散財してしまい、貯金が尽きる寸前に。一か八かで以前から挑戦したかった海外でしか経験できない仕事に挑戦したら、コネができてなんとか持ち返したものの、30年以上封印しようとしてきた幼児期から続いたあらゆる虐待(特に父からの性加害)によるトラウマ反応によって自暴自棄や鬱が悪化し、ベッドに寝込んだりする引きこもり生活と、繁忙期の季節だけ躁状態になって海外で我武者羅に働くという激しい生活を数年に渡ってした後に、心身に危険な想いを何度も繰り返し、仕事に現実逃避していたら、自分自身の安全を犠牲にし続けるということを、精神的に追い込んでしまった身近な人の反応でようやく気づき、それまで職場でしか自分の居場所を感じられなかったのが、一気に仕事をする意義さえも失い、精神障害者としてスイスで安楽死を遂げる前に、せめて社会が自分のような人間を増産しないことを願う遺書を残すことを目標にし、引きこもり生活が数年間続いている状態です。昨年10年来のクライアントから依頼があり、久々に業務を引き受けたのですが、業務をこなした後は次の出勤日まで何日も寝込んむの繰り返しが2ヶ月以上続き、自分がどれほど無理をしているかということを再確認しました。生きることには興味ないのに、社会を変えたいという気持ちだけは相変わらず根強く、性犯罪の刑法改正のロビーング活動を行なっている一般社団法人のボランティア活動の説明を受けたのですが、いつどこでトラウマ反応が起こって鬱状態になるか自分でも予想がつかない状態なので、様子をみながら、今は自分のトラウマケア(いかに日常生活を平穏に遅れるか)に挑戦しています。虐待は4歳から数十年続いており、その間トラウマケアは無自覚にはしてきた部分もありますが、自覚を持てたのが39歳だったのということもあり、人生の大半の間は十分で適切なケアができていない状況だったので、今42歳という人生の折り返し地点になって、一生かけても虐待前の自分(そもそもその自分を知らない)に戻れるかどうかという自信はありませんが、既に両親と対峙し、住民票閲覧制限もかけているので、これ以上悪化することはないとは思っています。「社会復帰する気があるか」という問いに対しては、もちろんありますが、自分次第・社会次第が半々だと思っています。というのは、私は以前からあらゆる方法で発信をしているのですが、それがいつ社会に伝わり、受け入れられ、収入にも結びつくかというのは分からないからです。というのも私はお金儲け目的の発信ではなく、社会に足りないものや、もっと注目を浴びた方が社会にとって良いと思われることに関して発信しているので、どんなに辛くても現状維持を怠惰的に選んでしまう大半の人々には簡単には受け入れられるものではないということは重々理解しています。なので、あまり前衛的な表現にならず、時代の遅れにも配慮しながら、子どもにも大人にも分かりやすい表現方法として漫画で伝えるという活動(遺書でもあります)もしています。
つづく