💔性的虐待順応症候群(エッセイ)
一昨日、交際15年目の彼氏・優太と仲直りできた。予想外の展開に驚いている。
5年前から私は何せ「浮気相手の男を連れてきてケジメをつけて」と優太に責められてきた身なのである。
しかし私は優太の要求を拒んできた。二度とあんな暴力的な男と会いたくないし、優太を危険な目に遭わせたくもない。
4年前、私が「優太と別れるつもりはない」と言い続けてきたことに文句を言う男のメッセージを読み、優太は「仲直りしよう」と言ってくれた。
なのに私は「実は過去に他の男達とも浮気をしてきた」と言った。仲直りしてくれることに罪悪感を覚えたのか、どさくさに紛れて過去のことも許してもらおうとしたのか。そのような打算を考える間もなく、言葉が出た。
ますます信用を失うことを言ったにも関わらず「それでもあなたが好き」と主張し続け、優太から縁を切られることは辛うじて免れた。その代わり、
「男を連れてきて、筋を通して」
全く別のことで私が優太に不満を言ったりする度に、優太はこの必殺のセリフで攻撃してきた。
私も負けじと「浮気をしてもいいって言ったのはあなたの方でしょ」と反論。
15年前、付き合い始めた当時「どこからが浮気?」と私が聞いた際、優太が「されたことないから分かんない。やってみて?」と屈託のない笑顔で答えた。
正気か?罠か?性癖か?
私は絶対に浮気をされたくないから「やってみて」の感覚がわからない。優太は浮気をするタイプではないので私は心配しなくていいけど。私に浮気されてもいいだと?本当に私のこと好きなのか?
いやでも、かつて「浮気は文化だ」と豪語した俳優もいる。一夫多妻の国はあるし、ポリアモリー(関係者全員の同意を得たうえで複数の人と関係を結ぶ人)も存在する。
問題は、男性は複数の女性と関係を持ってもいいのに、女性が同じことをしたら不貞行為で死刑になる国があること。死刑にはならない日本でさえ、浮気する男性より女性の方が社会的な批判が強い。
性別的な不平等に幼少期から敏感だった私は、男性に許されていることを女性として経験することで、自尊心を取り戻せるかもしれないとも思っていた。
そんな考えの元、婚外で肉体関係を持ってもよい間柄の夫婦と3Pをすることになったことがある。私の体調が悪くなったので中止になったが、後日、男性とのみ性的なことをする運びとなった。優太と付き合い始めの頃だった。
優太は「浮気をしてもいいけど、好きな人ができたら正直に言ってね。嘘ついて欲しくないから。」とも言っていたが、私は何も報告しなかった。
性的なことをした男性のことが好きになった訳ではないので、浮気なのか怪しい。でも優太に確認した途端、誤解されて別れられたら嫌だ。
その後も、たまたま職場などで知り合う男性から性的な誘いがある度に、私は流されるままであった。
幼児期から「性的な快楽」というものを必死に理解しようとしてきたので、その一環でもあった。
なぜ、人はそこまで性的なことを求めるのか。
理解しようとすればするほど理解に苦しんだが、諦めなかった。諦められなかった。
それに不思議なことに、男たちと性的なことになる度に、私は優太のことが「やっぱり大好き」と惚れ直していたのである。優太への数々の不満が解消された訳でもないのに。
掃除をしない。部屋でタバコを吸う。換気という概念がない。そんな優太に私は日常的にブチギレていた。怒りたくないのに怒ってしまう自分に自己嫌悪した。無限ループに疲弊し、精神治療をして好転反もあった。けど「お互いのためな別れた方がいいんじゃないか」という考えは払拭できず、常に愛情と絶望が紙一重だった。
いずれにせよ側から見たら、私が「浮気行為」をしていることになるだろうことも俯瞰できていた。
でも私の気持ちが別の男に向くなら「浮気」だと断言できるけど、全くそんなことはなく、むしろ嫌悪感が残っていたのだ。
なので私はこの「浮気」と肯定も否定もできない行為を、優太との友好関係を保つ「秘訣」と捉えるようになった。
優太は「浮気をしてもいい」と言っているのだから、仮に「浮気」だとしても問題ないし、男たちとは二度と会いたくない程どうでもいい存在なので、報告するに値しないと解釈するようになったのである。
そんなことが不定期に続いた交際も10年目になっていた2019年。私はあらゆる精神治療を試しながら、相変わらず躁鬱で、常に情緒不安定だった。
その夏、数少ない友人カップルから結婚一周年記念パーティに誘われた。私は事情を話し、行けたら行くと返答。行ける自信はなかったが、行きたい気持ちはあった。
当日、思い切って彼らが住む地方へ向かった。
普段は都内の大通り沿いで騒音がうるさく、陽当たりが悪いのにタワマンの光で夜は明るすぎ、狭くて汚い1Kで鬱屈している私も、緑の多い地方に着いた途端、気持ちが明るくなった。切り替わりが激しいのは毎度のことであるが、ここまで変わるのかと自分でも驚くほどに。
結婚記念の集いの後、勢い余って近日開催予定のお祭りに独りで行くことにした。友人カップルが「生き方を改めさせられた」と絶賛していたお祭りで、以前から興味があったのだ。
私はボランティアスタッフとして申請し、開催前日の8月30日に会場に到着。
初参加にも関わらず、久しぶりに会う知人にも出迎えられ、看板の手作り感から醸し出される暖かい雰囲気に「ただいま」と言いそうになった。
祭りは計9日間で、参加者全員が力を合わせて村を作り上げるようなDIYスタイル。
私はシルバーグレーが似合う男女カップルと知り合い、惹かれていた。ふたりの間に流れる平和な雰囲気が心地良く、私も優太とこんな風に年を重ねられたらな、なんて思った。
彼がいるということを普段は自分からは話さないが、その時は思わず「私にも彼氏がいるんです」と自ら開示した。
メインステージがよく見える場所に設置された出店でくつろいでいた時のことだった。
40代後半くらいの店主の男はドリンクなどを販売していたのだが、大先輩と連んでいた私にもお茶を無料で出してくれ、居心地が良かった。
話をしているうちに、店主の男が同業者だということが分かり、特殊な仕事なだけに、親近感が湧いた。
祭りも中盤の夜、気づいたら2時過ぎまで店主の男と話し込んでしまった。
そして私が自分の寝床に戻ろうとした際、満面の笑みで言われた。
「明日デートしよ」
デート?どゆ意味?と一瞬混乱したが「あーオッケー」と適当に返事をした。
英語のdate(デート)という単語には広義で社交的な目的のために時間と場所を決めて行う意味が含まれ、必ずしも恋愛的な交際の時だけに使われる訳ではない、と解釈した。
しかし翌日、男は昼過ぎになっても店に姿を見せなかった。昨晩の言葉の意図を確認できず、時間の経過とともに私の中でモヤモヤが募っていった。
明日につづく
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