漫画『お家、見せてもらっていいですか?』と私の住まい

本・映像

佐久間薫さんの漫画『お家、見せてもらっていいですか?』を読んでから手放したので感想を書く。

本書に登場するゴミ屋敷みたいにならないためにも、本は読んだら直ぐに出品し、売れたら感想文を書くことをマイルールに私はしています。

本は積読(ツンドク)になってしまいがちですよね。

だから、手放す代わりに感想文を残すと私は決めたんです。そうすれば、売れるまでにさっさと読破しようという気持ちになる。それに売れたら、感想文が書けるよう、本が手元にあるうちにもう一度読み返しそうという気にもなる。なかなか行動(読書・執筆)しない私には、締め切りを設けるこの方法が合っているようです。

私の部屋は、本書に登場するミニマリストの部屋か2畳の小屋に近い(せっかくなら「軽トラのモバイルハウス」にした方が、タイニーハウスや可動産などのムーブメントにも繋がるので惜しい)。実際、不用品を完全に手放すまでにまだ時間かかりそうなので途上です。

私が持ち物を適量化しているのは「実家」がないのが大きいです。また毒親育ちのお陰で精神障害を患い、仕事もできない状態になってしまってます。Sumally Pocketなどのストレージサービスは便利だと思うので検討しているけれど、そこに固定費をかける前に不要な物をもっと手放せると今の段階では思っています。

「子供部屋おじさん」という、子供の頃からの自室に大人になっても暮らす人々を揶揄する言葉があるけれど、私からしたら羨ましい。私にも実家があれば、本や服を好きなだけ保管していただろうな。

しかし私は頼る親がいないことを逆手にとって、若いうちから身辺整理を始めているということ。昔から、お寺みたいにスッキリした空間の方が落ち着くので、性にも合っている。

一方、物に溢れた部屋は「芸術」として写真などで見るのは大好きだ。都築響一さんの写真集『TOKYO STYLE』など、他人の雑多な部屋を覗き見るのは楽しい。

私が今、住んでいる家は都内にあるシェアハウス。駅から徒歩10分ほどの閑静な住宅街にある二階建ての木造一軒家で、全部で12部屋。

私の個室は2階にある南東角部屋の4畳半。元々一部屋だったのを後付けの薄い壁で無理やり2つに改造された部屋なので、隣人の生活音が直で響いてくるのがかなりストレス。

だけど家の敷地にある庭には池や植木もあり、早朝から鳥の囀りが聞こえるので、そういう意味では癒される。

それに私の部屋は真南なので、冬でも晴れた日はポカポカ。この部屋に決めたのは、内観の際、部屋を開けたとたん陽気に満ち溢れていたから。

夏は雨戸を閉めてクーラーをかけたり、最寄りの図書館に行けばいい。私は寒い季節の方が苦手で、冬籠りするので、暖かく過ごせればなんとかなる。

鬱で動けない日も、日差しが室内に届くので、助かっている。

この家には北向きの部屋や窓がない部屋もあるのに、その住人たちは元気に暮らしている。私だったら、気が狂ってしまう。

私が以前、借りていた賃貸は、日当たりが悪くなってしまって、鬱も悪化した。しかも大通りに面していて朝も夜も車の音でうるさい。夜な夜な発狂して、同棲中だった彼氏の睡眠にも支障をきたすほどだったので、とうとう部屋を飛び出して、ゲストハウスを点々とした末、今のシェアハウスに引っ越したのがもう3年前の2021年。

実はこのシェアハウスの存在は10年前の学生時代から知っていて、ずっと気になっていた。でも、家賃5-6万円は勤労学生の私には払える額ではなく、当時は3万円のシェアハウスに住んでいた。

このシェアハウスには大学生も少なくない。皆よく5-6万もの家賃を払えるなと感心しそうになったが、親が仕送りや学費を出しているのだ。実家もあれば、親の援助もある。温室育ちを僻みたくなる気持ちもないではないが、自律精神は私の誇りでもあるので羨ましいというのも違う気がする。

とにかく、今のこのシェアハウスの部屋が、私の人生で初めて「自分の部屋が好き・落ち着く」と思える部屋だということが一番大事なんだ。

「自分の部屋が好き・落ち着く」と思えたら、毎日が幸せだということが分かった。生きているだけで、暮らしているだけで楽しい。起きて、ご飯食べて、色々やって、ご飯食べて、色々やって、ゆっくりして、寝る。とてもシンプル。

鬱になるのは、トラウマ反応が度々起きるからであり、それさえなければ、どこにも行かなくても部屋で充実した時間を過ごせる。

この部屋に引っ越してくるまで私は、常に動いていた。常に仕事をしていたし、旅行ではなく放浪の旅をして、常に何かから逃れるように彷徨ってきた。止まる、休むという概念がなかった。私は旅が好きなんだと思い込んでいたけど、心身を落ち着かせる習慣を定着させる場所がなかっただけだったことに気づいた。

だから、この家には本当に感謝している。この家の大家さんには会ったこともないけれど、感謝している。ここの管理会社にも感謝している。

シェアハウスにはメリットが沢山ある。「共同生活」自体は、ストレス要因にもなるから、一概にメリットとは言えない。ただ、共同生活によるコスパの良さによるメリットは多い。

例えば、キッチンやダイニング、リビングなどの共有スペースが広い。私は自炊派なので、キッチンが広いのが一番ポイントが高い。あとこのシェアハウスは、清掃の方が小まめに水回りをはじめとする共有スペースを掃除してくれるから本当に助かる。この人がいなかったったら、私は穏やかに暮らせていない。

共益費を下げるために、住人が協力し合って掃除をしているシェアハウスも存在するが、そういうところで私は心安らかに暮らせる自信がない。そのようなシェアハウスに試しに泊まったことがあるけれど、案の定、掃除は行き届いているとは言えなかった。

出逢いは「運が良ければ」くらいに思った方がいい。仲の良い友達ができることがあるけど、私の場合はせいぜい1人か2人。色んな入居と退去を繰り返す中、仲良くならない人が大半。

その中には蒸発してくれたら泣いて喜ぶほど嫌いな人も少なくない。どういう人かというと、汚い・うるさい・臭い・ウザい。全クリする人もいるけど、一つ当てはまるだけで私は無理。どうしても我慢できない時は直接、苦情と改善を伝える。でも全部指摘していたら、文句を言いたいだけの人みたいになってしまうから、大概のことは我慢している。

中には「出会い」のために入居してきたのか?ここテラスハウスじゃないからね?と言ってやりたい勘違い野郎もいて、気持ち悪い。対処法は、こういう人が共有スペースを使う時間を避け、遭遇してしまったら、口角を上げて挨拶はする(目線を合わせなくていい)けど、素早くその場を立ち去る。

脱線してしまった気もするけれど、暮らす家やそこに住む人によって、日々の幸福度は左右される非常に大事なこと。

漫画『お家、見せてもらっていいですか?』の主人公のように私も他人の家を見学するのは大好きだ。特に第一章に登場する小説家の住む日本家屋。

古い民家や屋敷や別荘や豪邸を巡るのは私の趣味の一つでもある。結局、私が惹かれるのは、政治家が税金で建てた豪邸。装飾にも大層お金が掛かっていて、芸術作品として興味深い。

権力者による税金の無駄遣いで、庶民が苦しんでいるのは世の常で、それは許されることではないけれど、税金で建てられた豪邸が自治体に寄付され、内見できる機会があるなら積極的に利用したいと思う。もはや、この美しい建造物は庶民の努力によって建てられたのだと胸を張っていいとさえ思っている。

昔の建物を改造して喫茶店やカフェに改造しているような空間も大好物だ。大家さんからその家を引き継いだという話もちょくちょく聞く。私はそのような話を見聞する度に、将来の自分にもそのような話を受ける気がしてしまう。

空き家は増える一方で、家を知らない人に貸したくないという大家さんが多いと聞く。私だって不要だけど、大切だから、不特定多数の人には渡せない代物の一つや二つあるけど、信頼できる人にならぜひ活用してほしい。要はご縁だ。私は古いお屋敷を見学する度にいつか、誰かにとって大切な家の管理を任せてもらえる未来が待っているような気がするんです。

そういえば実際、アメリカの西海岸で滞在した際、数軒の家の清掃と管理を任せられてことがあることを思い出した。大家さんはやっぱり、その家を大切にしていて、私を信頼してくれていたから、その仕事を任せてくれたのだった。

そうだった。私はその経験がとても光栄で、嬉しいことだった。天職であるとさえ思った。だから日本に帰ってきて、その豪邸に匹敵するほどのお屋敷を見る度に、なんとなく親近感が湧いてしまうのかもしれない。

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