私が助けられているトラウマケアの一つとして「他人の不幸な話を聞く」がある。
これは幼少期からの虐待による精神障害を自覚するずっと前からのことであり、いまだに有効だ。
フィクションは生ぬるくて物足りないので好まない傾向にある。実話でないという時点で弱いと思ってしまうのだ。
作り話よりも実話の方が断然、悲惨なことが多いので、ドキュメンタリーやインタビューが好き。
具体的にはSoft White Underbelly(ソフト・ホワイト・アンダーベリーSWU)という、LAにあるアメリカ最大級のスラム街スキッドロウなどに住む人々の生い立ちをインタビューする動画とかを永遠に見入ってしまう。2016年から今もYouTubeで毎日配信している。
日本版を作りたいなと考えていたら「街録ch」が2020年から始まっていた。
案の定、日本に住む人々の中にも悲惨な生い立ちや人生が多いことが分かる。
貧困レベルやギャング率や麻薬中毒率や人口などで言うと、アメリカの比ではないかもしれないけど、日本の闇も引けを取らないほど深い。
私は辛い現実を見せられると落ち着く。だからハマるんだと思う。キラキラした世界だけを見せ続けられても、自分の存在が無視されているみたいで、孤独感が増す。
けど、自分と同じくらい辛い想いを全く別の経験を通じて体感している人が大勢いると知ると、ああ独りじゃないという安心感を覚える。
他人の不幸は蜜の味。
この言葉が不謹慎に聞こえるリスクを理解している。それでも使うのは、私の語彙力の問題かもしれない(ので、もっといい言葉を知っていたら教えてください)。けれど、こんな気持ちにさせる社会の無責任さにも問題があると思う。
不謹慎ではなく、切実だと私は言いたい。
他人の不幸は、自分の被害に気づかせてくれる。自分の被害に気づかないと、心は傷つく一方。傷つく一方であると、自他をもっと傷つける可能性が高い。
他人の苦しみに自己投影すると、心が少し癒えたりする。そうでもしないと癒えることは難しい。それをしても完全に癒えることは難しい。
それほど深刻な精神状態にある人間も存在する。そのことを一般人のインタビューから感じる度に、自分もその1人だと思い出す。
自分の存在が肯定されるという、虐待とは対局な原理が働いている。
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